ごみばこ

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フリロク4

フリオニールは愛用の武器を毎日手入れしている。いざという時に刃こぼれしていたり、斬れ味が落ちてたら意味が無いからだ。
こうして夕食の後の時間を使って、自室で黙々と一つづつの武器を見ていると無心になれる気がしてフリオニールは気に入っている。
今日は別働隊が探索に行っており、明日は自分達が行く。その為に準備はしっかりしておかねば、と念入りにチェックしていると慌ただしい音が遠くから聞こえた。
何事かと出てみれば、満身創痍の状態の仲間で、酷い戦いがあったのだと一目で分かる。
その中に1人、同じ様にボロボロになったロックがいたのだが意識がないのか光の戦士におぶさられている。

「一体何があったんだ!」

ライトニングが慌てて駆け寄ると、光の戦士は床にロックを下ろす。

「次元の穴を見付けてそれを塞いでいる最中に急にベヒーモスが這い出てきたのだ」
「いきなりだったからメテオを防ぎようが無くてさ、一気に半壊状態になったってわけ」

帽子を外したオニオンナイトは不意打ちは卑怯だよとティナのケアルを受けながら愚痴が洩れる。
裂傷やら火傷などであちこちを負傷しており、見た目が痛々しい。ティナは胸元を押さえてごめんねと謝るが、オニオンナイトは首を横に振った。

「僕らはまだマシ。メテオの後にロックがいつもと違う短剣取り出してさ『俺のとっておき見せてやるよ』って、1人で走り出しちゃって」

フリオニールはその違う短剣に覚えがあった。
手入れを一緒に行った時に、ロックの武器が入った袋の中にあったやや幅広の銀の刃の短剣。
通称バリアントナイフ。所有者の体力が死地に近ければ近い程効果を発揮する伝説の一品。
普段は軽いからとマインゴーシュを気に入って使っているので、バリアントナイフ自体を持っているのを見たことが無い。だから、それを使う事の危険性がどれ程のものなのか、事の重大さが計り知れない。

「この泥棒と来たら策も無しに突撃しまして。ええ、勿論攻撃など止まる訳もないでしょう。爪の一撃と引き換えにナマクラナイフであの獣を怯ませたのですわ」

馬鹿な人ですこと、とシャントットは服についた埃を払う。

「何が馬鹿なんだよ!ロックがやらなきゃ全滅してただろ!」

シャントットの物言いにカチンときたバッツが掴みかかろうとしたが、それをクラウドとスコールに止められている。
シャントットも別に悪意があって言っている訳では無い。
実際、不意打ちによるメテオで半壊してた所、立て直しまでの時間稼ぎとしてロックが真っ先に向かった。自分だって負傷しているだろうに、それでも仲間を助けようとする姿勢は誇りだろう。
でも、とシャントットは考える。
ロックのしている事は諸刃の剣だ。爪の一撃を受けて一瞬よろけてたたらを踏むが、次の瞬間勢いよく上体を前に突き出すと同時に、ベヒーモスの首を真横に一閃した。
その作られた隙に立て直した残りの仲間の力を巨体に叩き込んだのだ。尋常じゃない強さの敵に勝利したものの、払った代償もデカい。
特にロックは倒れたまま動かないでいるのだ、下手したらマーテリアの所に連れて行かねばならないかもしれない。
倒れる前、「やったぜ、おちゃのこさいさいってね」とこちらを向いて笑う姿が、クリスタル戦争を終わらせようと死に向かうカラハバルハと重なってしまう。
ヤ・シュトラのケアルを受け終わり、部屋へと運ばれるロックを横目で見ながら、男はかくも馬鹿ばかりなのだからと嘆息した。

 

 

外傷も消え、失った体力を回復する為に暫く安静という事になったロック。2、3日もすれば良くなるというので、暇を持て余しているだろうとフリオニールはお見舞いがてら部屋へと向かっていた。

「そこの弟子。お待ちなさい」

背後から聞こえた高圧的で、凡そ光の戦士とは言い難い淑女の声。
振り向けば腕を組んで通路に立っている。立っているだけなのだが、もうそれだけで威圧が凄い。
言うなればセフィロスジェノバエクスデスのホワイトホールだ。
いつの間にシャントットはEXスキルを変えたのだろうと考えていると、シャントットの眉の片方が吊り上がる。

「...何かよからぬ事を考えていないでしょうね?」
「い、いやそんな事はない」
「......。...よござんす」

納得はしていなかったが、1つ咳払いをすると「さて、」と言葉を続けた。

「今からあのこそ泥の所に行くのでしょう?」
「ロックの事か?勿論」
「それでしたら、あんな戦い方はお止めなさい。アレを続けてたらいつか光も届かなくなりますことよ」
「...どういう意味だ?」
「まるで死に急ぐような目をしていましたわ、仲間意識は大事だけどあんなもの、ただの自殺志願者にしかなりませんわよ。それを伝えておいて頂戴」

シャントットは一気に話すと「では、ごきげんよう」と会話を終わらせて、背中を向けた。
物騒な文字の羅列が聞こえたのは気の所為じゃない。死に急ぐとは何なのか。
果たして本人に聞いても答えが来るとは思えなさそうだと感じた。

「よっ」

部屋に入ると案の定暇を持て余したロックがベッドの上で武器の手入れをしていた所だった。
体のあちこちに包帯を巻かれており、頬には薬液に浸した拳より小さな布が貼られている。
トレードマークのバンダナは外していて枕の横に畳まれて置き、普段は少ししか見えていない銀髪が露わになっていた。

「起きてて平気なのか?」
「寝てても暇だからな」

歯を見せて笑うロックに苦笑しつつ、ベッド近くの椅子を引いて座る。戻ってきた時、一時はどうなるかと思った。
キツく閉じられた瞼、薄い呼吸、服を濡らす血。
もし、戦闘不能ではなく死亡だったらという恐怖が心を冷やす。

「ここに来る途中、シャントットに会ったんだ」
「ああ、あのおチビさんか」
「お前が死に急ぐ戦い方をしてる、と言っていたよ」
「はは、そっか」

それなのに本人はあまりにもその意識が低い。笑って誤魔化すロックにモヤモヤとする。
気にしてないのか、それともどうとも思ってないのか。問い詰めようとフリオニールが口を開くと、ロックは「癖抜けてないんだな」と困った顔で後頭部をぽりぽりと掻く。

「俺、さ恋人がいたんだ、レイチェルって大切な人。でも帝国に殺されて、奪われたんだ。...人づてに聞いた帝国が持ってる生き返りの秘薬を取るついでに反帝国軍のパイプ役になったりしてさ」

バンダナをそっと取ると大事そうに握りしめる。快活な成りは潜め、その瞳は悲しげに伏せられた。

「なんだかんだいって秘薬は取れてやっとレイチェルを生き返らせたんだけど、でも彼女はそんな事望んじゃいなかった。俺に、俺自身の幸せを考えて欲しいって言って、彼女はこの石を託してくれたんだ」

そう言って手渡してきたのは手のひらにすっぽり収まるくらいの、赤く揺らめく輝きを持つ小さな石。
受け取ったそれはほのかに暖かく、まるでそれは春の陽射しのような暖かさだ。

「魔石フェニックス。綺麗だろ?」
「ああ、宝石なんかと比べ物にならないくらい綺麗だ。この暖かさはレイチェルが残したロックへの想いなのかな」
「よくそんなクサい言葉言えるよな...」

呆れた顔をするロックにフリオニールは少しだけ赤面すると、魔石を返した。

「その時の俺はとにかくみんなをレイチェルと重ねてて、守らなきゃって必死だったんだ。だから戦い方はそれの名残りかもな」

気をつけるよ、と一言付け加えて魔石を小さな麻袋の中にしまった。
そしてフリオニールの方を向くと、嬉しそうに目を細める。
いつも見る無邪気な、少年のような笑顔にフリオニールはドキリと胸が高鳴る。

「フリオって優しいよな」
「どうしたんだ突然」
「いや?なんとなーくそんな気がしてさ」

多くを語らず、優しいと比喩したロックは武器の手入れに戻る。
ヤスリで刃を擦る手は変わらず丁寧で、一つ一つに愛着を持っているのが分かる。
見舞いとして渡されたリンゴを剥いていると、ロードオブアームズで剥けたりしないかと問われてフリオニールは笑みが洩れる。

「刃が錆びるな」
「ネタとしては面白いんだけどな」
「光の戦士の彼から怒られるぞ」
「それもそうか」

皿に剥いたリンゴを乗せて渡すと、受け取ったロックはその1つをフォークに刺すとフリオニールに持たせる。
頭の上に疑問を浮かべていると、彼は悪戯っ子のように「食べさせてくれるまでがセットだろ?」と笑って口を開く。

「男にあーんしてもらって嬉しいのか...?」
「フリオだったらいいよ」
「あ、あー...ロック、そういうのはあんまり他所でも言うべきじゃないからな...」

それとなく窘めれば不満そうに表情が変わる。
そして無理矢理フリオニールの手にフォークを握らせると、それをそのまま自分の口の中に入れた。
開いた口の中から覗く白い歯と、赤い舌がやけに扇情的に見え、しゃくり、とリンゴの噛む音がフォーク越しに伝わってフリオニールはドキリとする。

「誰にでも言ってる訳じゃないからな」

残りの半分を齧り、ゆっくりと咀嚼をすると飲み込んでから果汁のついた唇を舌で舐める。
誘っているとも取られ兼ねない行動なのに、いやらしさが1つもない。ロック自身がそういう部分を持ち合わせず、極々普通にしているからなのかは計り知れぬ所ではあるが。

「これでもあんたの事は気に入ってるんだぜ、フリオ」
「気に入ってる...って」

まだ理解出来ていない様子のフリオニールに痺れを切らしたロックは、相手の襟を掴むとグイッと引き寄せて、半ば強引にキスをした。
以前したような触れるだけのものではなく、フリオニールの咥内に先程見た赤い舌が入ってくる深いものだ。
だが、向こうから来た割にはたどたどしい動きで、フリオニールは思わずロックの後頭部をがっしり掴むと体重をかけてベッドに押し倒す。
舌を甘噛みすると、それから軽めに吸い付く。鼻にかかる様な吐息は慣れていない印象を受けた。
何度も角度を入れ替えて口付けをし、舌を絡ませていくとロックのまつ毛がふるふると切なげに震えていた。
暫くしたのち、唇を離すと荒い呼吸をしていたが、やがて落ち着いてきたのか徐々に整いだす。

「...、がっつきすぎじゃないか」
「すまない...なんていうかつい...」

ロックの方から仕掛けてきたせいで歯止めが効かなくなってしまった。申し訳ないと思いつつも、彼に対する欲求が抑えられなかった事実は覆しようがない。
何せ、結構前からそういった気持ちはあったからだ。
男だの世界が違いすぎるだのと言い訳ばかりしていたが、もうそれだけでは誤魔化しが効かなくなっていた。

「なぁロック」

銀髪を撫でつけながら、愛おしそうに聞けば「ん?」と返ってきたのでこめかみに口付ける。

「気に入ってるって俺の事が好きって事なのか?」

もしそうなら色々な質問をしてみたかった。いつ、だとか、どこが、とか。
だけど彼はただ擽ったそうに笑って「さあね」と答えるだけだった。

フリロク3

前回の一件以来、フリオニールはロックを意識してしまうようになってしまった。
気が合うせいか共に行動する事も多く、周りからもペアで扱われるのが増えており、それはフリオニールにとって嬉しいような複雑な気分だった。
ロックの方はと言うと、別段気にしていないのか接する態度は至って普通で、気軽に狩りやら探索を誘いに来る。そう、意識をしているのがまるで自分だけみたいなのが余計にフリオニールを複雑にしている原因なのだ。

フリオニール!」
「リノア。どうしたんだ?」
「あのね、スコールとちょっと出掛けて来てもいいかな?」

相棒のアンジェロと共にやってきたリノアは今回の探索リーダーに任されたフリオニールにそう告げた。
周辺のイミテーション達は一掃したし、問題は無い筈だと思いつつも何故離れるのか問う。

「えっとね、一緒に植えた種が育ってるか気になって...」
「スコールと?」
「そうそう!育っていくのって見てて楽しいなーって!」
「はは、元気だな。夜には街に帰るからそれまでに合流してくれればいいさ」
「うん、ありがとう!スコールいいってー!」

元気よく手を振るリノアに一瞬五月蝿そうに眉間に皺を寄せるが、特に何を言うわけでもなくぱたぱたと近付く彼女を待ってから共に歩き出す。大っぴらではないが仲の良い2人は見ていて微笑ましい。
口角を弛めて見送っていると、不意に肩に腕が回された。

「よう、色男。なーに見てんの」

横を見れば間近で銀色の瞳に見上げられていて、フリオニールはぐっと喉を引き攣らせる。
自分よりも僅かに小さいロックは至近距離で接する時に必然的に見上げる形となる。軋んでいない外に跳ねた鮮やかな鈍色の髪。少しだけ垂れた大きめの瞳。見れば見る程年上には見えず少年に見えてしまう。
可愛いだなんてと己に否定しながら、フリオニールは至極平静を保ちつつ話し掛けていく。

「スコールとリノアが種を植えたんだそうだ。それの様子を見たいって言ってきたんだ」
「成程、若いっていい事だよな」
「...若い?」
「二人っきりになりたいって事だろ?つまりはデートだ」

ニヤリと笑うロックに納得する。
些細な口実で二人きりになりたいのは、仲睦まじいからこそだ。
毎日毎日次元の歪みやらスピリタス陣営との死闘の中ではそういった息抜きが大事になってくる。
少しの間だけでもスコールとリノアに安息が訪れるように、とフリオニールは思う。

「...、なあところでさ。この近くによさげな狩場見付けたんだよな」

行ってみないか?と問われるが、即答は出来なかった。
先に出掛けて行った2人のためにも合流ポイントを作らねばならないし、今夜泊まる宿だって探さねばならない。
食料の確保も大事なのは分かるのだが、リーダーを任された以上は持ち場は離れるわけにはいかないだろう。
一瞬迷ってから断ろうと口を開くと、それよりも先に地図を手にしていたヤ・シュトラが割に入る。

「いいわよ」

視力を失ったらしい白い瞳を瞬かせ、ふわりと微笑んだ彼女は大きな獣の耳を動かしていた。

「でも、まだやる事は...」
「周囲一帯の地図は完成してるし、後はここにエーテライトを立てるだけだから構わないわ。出来の悪い弟も手伝ってくれるし…ね」
「出来の悪い弟って俺かよー」
「あら?他に誰がいるのかしら?」
「ちぇっ」

すっかりいじけたヴァンにヤ・シュトラは「頼りにしてるわよ」と微笑んでいた。

「だから貴方も行ってきなさい。ずっとそんな調子じゃ息が詰まるだろうしね」
「...すまない、ありがとう」
「ありがとな、ヤ・シュトラ」

礼もそこそこにロックは上機嫌に肩に回した腕でフリオニールを引っ張っていく。
楽しそうなロックにそれを窘めるフリオニール。どっちが年上なのかと、ヤ・シュトラは待ってるのが飽きたヴァンに呼ばれるまで顎に手をあてて考えていた。

 

 

ロックに連れられてやってきたのは木生い茂るのどかな森林だった。円形に作られた森は中央に小さな泉があり、鳥や小動物の声が聞こえる木々の隙間から木漏れ日が差し込む静かな場所だ。
目的地に辿り着くと、フリオニールから手を離して解放し、泉の側に座った。

「到着っとね」
「...こんな所があったんだな」

次元喰いに荒らされてばかりだと思っていたが、まさか手付かずの場所があるとは、と感動しているとロックは得意げに「だろ?」と答えた。

「こないだの探索で見付けてさ、一緒になった時にあんたを連れてこようって思ってたんだ」
「他のみんなにまだ話してないのか?」
「...1番に見せたかったんだよ」

照れ臭そうに話すロックはいつもの飄々とした感じは無く、本心からの言葉のようだ。

「頑張りすぎなんだよ、光の戦士だって言ってただろ?1人で背負い込みすぎるなって。その為の仲間なんだしさ。...なんつうか、俺を頼ってくれないのはちょっと不満だし」

心が、暖かくなる。
表には出さないだけで、ロック自身はこんなにもフリオニール自身を考えていてくれた。
皆を早くに元の世界に戻す事ばかりを考えて、自分の事などお構い無しに先走っていた。そんなフリオニールに気付かせる為に、わざわざこの場所まで探してた冒険家の彼の優しさは元来から来るものだ。

「頼れよ、フリオニール。仲間を考えてるのはお前だけじゃないぜ」

ニヤリと口角を上げる男に「ありがとう」と礼を言うと、彼は少しだけ幼く見える笑顔を見せた。
そしてロックは「さて、」と呟くとおもむろに草の上に横になる。

「合流時間まではまだまだあるし、一眠りでもするかな」
「...狩りはいいのか?」
「フリオ、それこそこれはあんたと二人きりになる〝口実〟だぜ。野暮なこと聞くなよ」

二人きり。
先のスコールとリノアの事を思い出せば、つまりこれは。

「昼寝するデートなんて聞いたことないぞ?」
「でも息抜きには丁度いいだろ?」

そうして顔を見合わせた二人は大きく笑う。
なんて平和なんだろう。
たまにはこういう時間があってもいいのかもしれない、とフリオニールは考える。
ロックの横に同じ様に横になると、薄い雲が流れる青い空が見えた。

「青いよなぁ」

眠そうに呟くロックにそうだな、と返す。横になってからすぐに眠くなるなんて子供みたいだと思いつつも、改めてこの青い空のように気ままに生きているロックに確実に好意を抱いているのを再確認した。
きっと彼にはそんな気がないのかもしれないけど、ひっそりと想うくらいは許されるだろうと心の中で好きだと告げた。

 


その後、暫く経って目を覚ましたフリオニールはこちらに寄り添って、マントにくるまって眠るロックを見てしまい、思わず自分の口を押さえたとかなんとか。

フリロク2

仲間と合流してから数日。
来たるべきスピリタス陣営との闘争の為に日々チームを分けて鍛錬を行っていた。
本日はラムザ、エース、オニオンナイトの3人との手合わせだったが砂埃と傷でボロボロになったロックの姿を見るに負けたのだろう。
木陰に座って大人しくフリオニールの手当を受けていた。

「あいつら容赦無さすぎだろ」
「ロックが新入りだから張り切ってるのかもな」
「...手荒すぎる歓迎ありがたいぜ」

大人顔負けの迫力で迫るラムザとエースは普段の温厚そうな姿とは全くの逆で、あの2人の印象が大分変わったとロックは胸中で納得する。
それだけ過酷な戦場にいるのだろうが、子供は子供らしくあった方がいいのでは無いかとおしゃまな少女のリルムを思い出した。

「どうかしたのか?」

思い出し笑いをしていたのを不審がって、フリオニールが顔を覗き込んできた。

「ふはっ、...いや元の世界にいる子供らしい子供を思い出してさ。ラムザとエースの落ち着きを見せてやりたいと思って」
「あの2人はしっかり者だからな」
「ほんとだよ...ッ、」

腕の汚れを落とすのに水を流すが、一瞬顔を顰めたロックに思わず手を止める。
押し殺した声だが確実に傷があると確信したフリオニールはそっとロックの腕を取ると向きを変えて確認してみる。そこにあったざっくりと大きく抉れた様な傷口が痛ましく見えて、自分が受けた傷でも無いのに眉間に皺が寄った。

「さっきの手合わせでついたんだと思う...、木にぶつかった時かな」
「...ヤ・シュトラか光の戦士を連れてきた方がいいか」

ケアルを使える仲間を呼ぼうと提案すれば、ロックは制止して首を横に振った。

「んな事したらあいつらが責任感じちまうだろ?」
「だけど、」
「心配すんなって、ポーションつけときゃすぐ治るからさ」

手合わせでついた傷だなんてなれば若い戦士は加減をしなかったからだと深い責任を感じてしまう。だが、ロックからすれば練習だからと手抜きをしないで、全力で向かって来た2人を好ましく思っているからこそ、黙っていたかったのだ。

「フリオ、」

ポーションを1つ、フリオニールに渡すとロックは少しだけ困った表情を浮かべる。

「自分じゃ上手く出来ないんだ、頼む」

受け取ったポーションを手にフリオニールは僅かに困惑が隠せなかった。
上着を脱いでTシャツ姿になっているロックは治療を受ける準備が出来ており、動かずに固まっているフリオニールを見上げている。

「...なあ、ロック。やっぱりきちんとした手当を受けた方が」
「へーきへーき、いつもこうしてるしさ。ほい」

差し出された腕はしなやかなで男性的だが、滑らかさも持っている。日焼けもしていない白い肌故に赤い血が酷く目立つ。
水で湿らせたタオルにポーションを染み込ませると、傷口にそっと押し当てた。

「...ッ、く」
「大丈夫か?」
「なんて事な、ッい!」

歯を食いしばって痛みに耐えるロックのこめかみに汗が流れる。
回復薬とは言え、抉られた所に触れれば相当な痛みを乞う。それでも悲鳴らしい悲鳴を上げずに耐えているのは本人が言っていたように〝よくあるから〟なのだろう。
出来うる限り痛みをロックに与えずに優しく手当を施し、簡易の包帯代わりの布を巻き付けた。

「...よし、終わったぞ」
「ん...ありがとな」

ずっと耐えていたせいか、終わった頃には汗で髪が張り付いていて、顎を伝った物が鎖骨にも流れ落ちていた。
意識がぼんやりとしているのか、どこか気怠げなロックは扇情的に見えてしまい、無意識の内に喉を鳴らしてからフリオニールは乾いた布でそっと汗を拭いていく。

「あとで水浴びすっからいいって」

やんわりと断るロックの頬を両手で挟むと、吸い寄せられるように唇に触れた。
目を丸くしてこっちを見るロックにハッと意識を戻すと慌てて体を離す。衝動的とは言え、一体何をしたのか。ただ手当をしていただけなのに。相手の顔がまともに見れず、背けて背中を向けて、罪悪感と後悔に苛まれているとロックがフリオニールの背中をぽんぽんと軽く叩く。

「おーい」
「す、すまない...その、わざとじゃないんだ、何ていうか、」
「...いや、別にいいけどさ」

気にしてない風に話すロックの感性が信じられなくなり、勢い良く後ろを振り返る。男が男にキスをされて別にいいだなんて、と。
普通は怒るべきだろう、とか自分がした事を棚に上げてでも言わなくてはならないと思っていたのに、振り向いた先には耳を赤くして困惑した表情のロックがいた。

「なんでそんな顔してるんだ...」
「え、いや...急にされたらなるだろ、普通」
「俺がした事を気持ち悪いとか思わないのか?」
「んん?...まあ、女性陣いるのになんで俺なんだってのはあるけど、別に俺はそんな風に思わないぜ」

お前には良くして貰ってるからさ、と言われ言葉に詰まる。
フリオニールとて、最初からロックをそう見ていた訳ではないのだが痛みに耐える姿や、その後の気怠げな姿に誘われてうっかりしてしまったくらいだ。
年上なのに、無邪気で飄々としている自由なこの男が羨ましいと感じた事はあるが、あくまでそれは親友の類いとしてであってそれ以上では見ていない。
なのに、照れ臭そうに鼻の下を擦りながら「いきなりはちょっと心の準備が整わない」などと言っているロックが無性に可愛く見えてしまう。 本当に年上なのか怪しい。
フリオニールはグッと喉を飲み込むと、ロックの肩を掴む。

「...なら、もしまたしたいって言ったらどうする?」
「どうもしねえって。いつでもどうぞ」

どこか恥ずかしそうに、でも不敵に笑うロックにフリオニールはもう一度、触れるだけの口付けを交わした。

フリロク1

マーテリアの導きによって異界に飛ばされたロックは1人のどかな草原を歩いていた。
仲間もおらずあてもない、見知らぬ土地での探索だったが足取りは慣れたものだ。
崩壊後の世界でティナ達とはぐれた時を思い出すな、と自然と笑みが洩れる。

「...それにしても良い天気だ」

そよ風が草花を優しく撫でればゆらゆらと揺れ、青く若い香りが鼻をくすぐる。穏やかな気温、明るい陽気に眠気を誘われたのか1つ、欠伸をすると徐ろに草原に寝転んだ。
勿論寝ている場合では無いのだが、ロックは「ちょっとだけ」と独り言を呟くと瞼を閉じた。

 


眠りについて暫くして、不意に体を揺さぶられる感覚がした。
重い瞼をうっすらと開けると視界に入ったのは色とりどりの装飾が施されたバンダナと銀色の髪。
エドガーがイメチェンしたのかと思ったが、ここは自分のいた世界ではない事を思い出す。
目の前の切れ長の目をした男は初めて見る人間だ。

「大丈夫か?特に怪我は見えないけど」
「...ああ、うん。寝てたんだ」

掛けられた問いに昼寝した事を伝えると、男は目を瞬かせて呆気に取られていた。それもその筈、敵がいつ来るとも分からない草原のど真ん中で無防備に寝るなんて誰も考えないだろう。
そもそもこの男が敵ではない保証も無い。
そんな暢気な事をするのはロックくらいなものだし、もしここに仲間が居たら注意の1つでもされそうなものだ。
だが、いくつもの立派な武器を持ちながら敵意どころか善意しか持ち合わせて無さそうで、武器を抜く気配も無く、男自体もお人好しそうな優しい雰囲気を感じる。
ロックは上体を起こして体を伸ばし、大きな欠伸を一度すると、男に向かって手を差し出す。

「俺はロック。ロック・コールだ、冒険家をやってる」

軽く自己紹介をすると、男は目を細めると握手を返す。

「ありがとう。俺はフリオニール。元の世界では反乱軍に居たんだ」
「へえ、反乱軍。俺も似たような所にいたぜ」

似た境遇に出会うのは中身がどうあれ嬉しいもので、へらりと笑うとフリオニールは目を丸くした。

「...?どうかしたか?」
「いや...、随分無邪気なんだなと思って」
「無邪気ってそんな歳じゃないぞ」

はは、と笑うロックとは対照的に至極真面目な顔をしたフリオニールは「ティーダやジタンと同じ歳かと思ったよ」考え込んでいた。

「そいつら何歳?」
「17とか18だったな」
「...、...そ、そっか」
「ロックはいくつなんだ?」

何の気なしに聞かれ、思わずロックの肩がギクリと跳ねる。
まさか10代と間違われるなんて、まるで落ち着きがないと思われているようで恥にも程がある。
なかなか答えられずにもごもごしているロックにフリオニールは苦笑して「年齢は問題じゃないさ」と慰めた。

「まあそう思っとくよ」
「そんなに拗ねなくてもいいじゃないか」
「拗ね...?!それだとまるで俺が子供みたいだろ」
「はは、すまない」
「ほんとにそう思ってんのかよ」

不満気な表情でフリオニールの肩を小突くも、相手は笑いながら謝るだけで段々とこっちまで絆されていく。
フリオニールの居心地の良さはなかなかいいが、すっかり眠気の取れたロックは立ち上がると服に付いた葉っぱを払う。

「よっし、充分休めたしお前らの陣営まで連れてってくれ」
「ああ。勿論だとも」

マーテリアの導きにより出会った仲間の人数は数しれず。皆それぞれの世界から異界に呼ばれた者同士、自分達の世界を守る為、明日を守る為に手にした武器を振るう。
共に並んで歩く反乱軍の男の視線は間違いなく揺るぎない希望を持っている。
ロックは胸の内に残る、愛した女の残した不死鳥のほのかに温かい熱を感じながら、仲間達が持っている希望を支える力になれるなら、と強く願った。

 

 

その後、マーテリア陣営と合流したロックだったが、その楽天家な性格故にラムザとエースに「大人はもう少し落ち着いているものじゃないのか?」と言われ、フリオニールがまさかの年下だと判明したり、ジタンに泥棒仲間と間違われたり、ティナに「歳上なのはロックだけ...だよ...」と言いづらそうに告げられたりして不貞寝したりするのはまた別の話。

9A

部屋に来るなり開口一番暑いと文句を放ったナインは、何故だか座ってい本を読んでいるエースの腰にしがみついている。
何故、暑いのに接触してくるのか、エースにはナインの真意が読み取れない。

「そんなに暑いのなら離れたらどうなんだ?」
「俺が邪魔だってのかコラァ!」
「......」

促せば返ってくるのはこれだ。
何度離れる様に助言をしても一向に聞き入れる様子がない。
そのくせひっつきながらエースの体温が高いだの、暑いだのと文句を垂れている。
一体なんなんだ、と頭を抱えたくなった。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、納涼の取り方すら忘れたチョコボ頭の知能を心配しつつも、エースは本を読むのに意識を戻す。
折角借りてきた新刊。いつもは常連の2人に負けて一番最後に借りているのだが、今回に限っては幸運にもたまたま立ち寄った時に入荷していたものを手早く借りれた。
それだからなのかクオンやクイーンよりも先に手に取った話はクリスタリウム内でも話題になる。
あの体力のないエースが新刊奪取バトルに勝ったのだと。
だから返却期限まではじっくりと読んでおきたい。ひっつくナインを無視して活字の羅列を見ていると、腹部の辺りで頭をぐりぐりと押し付けられる感触に擽ったさで気が散ってしまう。

「ナイン、読めない」
「あっちぃからブリザドBOMかROKしてくれよコラァ」
「ここでそんな魔法撃ったらすぐに隊長が飛んでくるぞ」

以前にジャックとナインが手合わせと称してチャンバラごっこをしていたら勢い余って壁に穴を空け、クラサメからのキツい小言と山程の課題を渡されていたのを思い出す。
エースが構ってくれないのを悟ったナインはこれ以上邪魔して追い出されるのも嫌なので、エースの膝の上に頭を乗せて空いた窓から聞こえる同級生の声とそよぐ風の音を聞きながら目を瞑った。
カラン、とグラスの氷が溶けて崩れる音が部屋に響く。
任務も無く、平和なのはいい事なのだろうが体を動かすのが好きなナインとしてはこうしてダラダラと室内で過ごすのはやはり性にあわない。読み終わったくらいにまた来ればいいか、と思案し、上体を起こすと背中から「ナイン」と呼ばれた。

「あ?なんだ...、っ!」

振り向くと同時に不意に寄せられた唇。
呆気に取られて半開きになった口の中に冷たい塊が入り込んで、ナインは目を見開いてギョッとした。

「ブリザドROK...なんてな?」

歯で砕けば言葉の意味通り口の中の冷たい物体が氷であるのが分かった。
恥ずかしいのに暑いと言うナインの気持ちを汲んでやったのだろう。フフッと微笑むエースの頬は僅かに桃色に染まっている。

「なんだかお腹が空いたな、リフレでも行こうか」
「本はいいのかよコラァ」
「それでナインがどこかに行くのは寂しいからな」

本を閉じたエースはテーブルの上にそれを置くと、ナインの頭を愛おしそうにゆっくりと撫でる。
なんだかとても心地好くて、ナインはエースを思わず強く抱き締める。残暑も厳しい暑さなのに、何故だかナインはそうしたかった。
気の利いた一言も言えない自分に腹が立つ。
何か言葉の1つでも言える為にちょっとは勉強でもしようと決意し、それが僅か3時間で集中力が切れるのもナインらしいと言えばナインらしかった。

ところで私の物真似はどうでした?

それは単なる興味だった。
ルシオは自分の顔には並々ならぬ自信がある。
神である主から造られた体は全てが完璧で、見る者全てが魅了されても仕方が無い。
誰もがルシオの一番となりたくて争いが起こる。あまりにも罪作りな完璧なる存在。
このグランサイファーには自分以上の美しさを持つ者などいないと思っていた。
思っていたのに。

「あっ、ルシフェルさん!......ってあれ、ルシオ?ごめん...似てたから間違えちゃって」
「ええ、構いませんよ。お気になさらず」

ルシファーの遺産を破壊した後に復活し、顕現した天司長ルシフェル
瓜二つな彼と間違えられるのも多々あり、特に気にしてはいなかったが。
多い時には日に何度も間違われ、仕方が無いと言うにも些か限度がある。
だが。

特異点、そいつをルシフェル様と間違えるな。不敬だぞ」

腕を組み、ムッとした様子で文句を言うのは、復活したルシフェルから毎日過剰なまでの寵愛を受けているサンダルフォン
艇のあちこちで目撃されるイチャつきに、先日特異点から暫くの接触禁止命令が出たばかりだ。
そのせいでルシフェル不足になってるのか、顔にはあの方と一緒な訳がないだろうという嫌悪感が溢れ出ていて、あまりの露骨さに思わず笑みが漏れる。

「何が可笑しいんだ」
「いえ、特に何も」

自信満々に違うと言い放つサンダルフォンにどこまで偽れば、彼は愛する人と間違えるのか気になった。




...が。
後日に意気揚々と戦闘中にしか出さない6枚羽を船内でも出して雰囲気や口調、仕草までも完璧にしたルシオだったが、サンダルフォンに近付くな否や、ふさげてるのか?と存外ドスの効いた声で問われた。

「...分かるんですか貴方」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってるんだ?あの御方の傍に一番長くいた俺が間違うわけがないだろう」

自信満々に答えるサンダルフォンのガチ具合に肩を竦めて、溜め息を吐く。

「そこまで真剣だと清々しいくらいに気持ち悪くて尊敬しますよ」
「...君は馬鹿にしてるのか?」
「褒めているんですよ?」

半分キレかかったサンダルフォンを落ち着かせると、彼は「大体な」と話し出す。

ルシフェル様の物真似をするのも構わないが、気品さが足りないんだ。あの方の笑顔は......君は見た事ないだろう。フン、あれを知ってるのは俺だけだからな。そう...言うなればルシフェル様の笑顔は蕾が一斉に花を開く様な、穏やかで...だけど暖かくて風の音しか聞こえない物静かな草原だ。君のように人を騙す胡散臭さはないんだ、分かるか?」
「え、ええ...」
「本当に分かってるのか?それと、ルシフェル様の声は包まれるような安心感のある心地良い声なんだ。...ああ、あの御方の声は本当に胸に染みる」

始まったルシフェル講義に耳が痛くなる。筋金入りのガチ勢だった事をすっかり忘れていたルシオは熱弁を始めたサンダルフォンを止める術も分からず、かと言って去る事も出来ずに聞かせられる羽目になった。
如何にルシフェルが素晴らしいか。優しさの中に厳しさを見せる絶妙な塩梅、再顕現してから感情豊かになったことなど、それはそれは興味の無い者が聞いたら全員がもういいですと言いたくなるであろう。
そんな事を言えば至近距離でアイン・ソフ・オウルものだが。
しかし、とルシオは思う。熱弁する割には違和感が見られる。

「そこまで思っているなら何故本人に言わないのですか?」

動きを止めたサンダルフォンは、きゅっと唇を結ぶ。顔を項垂れて、白くなるまで手を握ると「無理だ」と苦しげに発した。

「あの方は誰からも愛され、誰からも必要とされている。俺のような者が与えなくても足りているんだ」
「ですが、貴方は頂いているばかりなのでしょう?返さないのですか?」
「それは...確かにそうかもしれないが、俺の愛などルシフェル様は必要としない」

全自動卑屈マシーン。何故だかそんな言葉が浮かんだ。
想い人への愛を溢れんばかりに抱えていても、当人に言わなければミリも伝わらない。
自己卑下で息苦しいのか、泣き出しそうに顔を歪める。
自己完結し、自己嫌悪し、取り返しがつかなくなってから後悔する。
それはサンダルフォン自身が一番よく分かっているだろうに、どうにも一歩踏み出せない。
普段、寵愛を受けている姿とてルシフェルからの一方的なものばかりが目立って、サンダルフォンは素っ気なかったりどこか引いているばかり。
意地っ張りで卑屈で、寂しがり屋な子供は長い年月で甘え方も忘れてしまった。
なれば不肖ルシオ、手伝いましょう。
先程伝えられたルシフェルの特徴を飲み込んで、一息吐くとサンダルフォンの肩に触れる。

「君から与えられるもので必要ではない事などないよ。サンダルフォン...君の気持ちを吐露しては貰えないだろうか?」

憂いを秘めた表情、静かな草原のように広大で包み込む声質。
完璧だ。自己評価の高さも相まってルシオの脳内でファンファーレが鳴り響く。
さあ、私をルシフェルと思って気持ちを吐き出す練習をどうぞ。
そう意味を込めて綺麗なモーションでウィンクをする。
ポカンとするサンダルフォン
そして、

「...は?」

スローモーションで泣き顔から般若の形相に変わるのを見たのは初めての経験です。と後のルシオは語る。凄まじい迫力に脳内で逃げるか脱走か逃亡のどれを選ぼうか悩む。
いくら空気を読まないルシオとて、これが如何にヤバいかくらいは分かる。HellサンダルフォンLv300相手は一体エリクシールを何本必要だろうか。いや、Hellはそもそも1本しか飲めない。言うなればManiacだ。
Maniacサンダルフォン。確かにルシフェルに大しては考えがマニアックかもしれない。そこまで考えて、可笑しくなったルシオは般若の前でふふっと笑った。

「何を笑ってる。...まさか君、ルシフェル様を侮辱してるな?」
「いえ違いますよ、違いますって...ふふ」
「いいだろう...そこを動くなよ」

笑ったのがルシフェルに関してだと思っているサンダルフォンは止まりそうにない。誤解を解きたくてもマニアックサンダルフォンがツボに入って笑いが止まらないルシオ
笑えば更に怒りが増幅するまさに悪循環。
一方的な戦争が勃発しそうになった瞬間、澄んだエーテルが辺りに漂ったと思ったら突如現れた純白の羽にサンダルフォンが包まれた。

「なっ!?...え?る、るしっ...?」
サンダルフォン。公平であれと思うあまり、全てを伝えてこなかったのは私の責任でもある。だが...私は、君からの想いを全て受け止めたい」

後光差す進化を見守る獣の登場に驚愕し、般若の表情が崩れると一気に赤面する。その間も羽はみるみるうちにサンダルフォンをすっぽりと覆い隠す。静かに、羽音ひとつ立てずに揺れる6枚羽。そこから溢れる光の粒子が空中に舞っては霧散する。
幻想的な輝きに感心していると、気付いたら目の前のサンダルフォンは消え、代わりに白い繭が出来上がっていた。
中から「一体なんだ」「やめろ離せ」「どこを触ってるんだ」と困惑した声と、金属のかち合う音が聞こえる。ルシオは突然顕現したルシフェル
サンダルフォンの悩みを知っているのか気になり、もぞもぞ動いている繭に向かって問い掛ける。

「貴方はいつから聞いていたのです?」

ルシオの声に繭は動きを止めると「最初から」と一言答えた。

「初めからいるなら声くらいかけたらどうなんだ?!」
「いつでも君の傍にいるよ」
「や、やめろ...!耳元で囁くな!」

てんしちょう
いつからいるの
はじめから
ルシオ、心の俳句。
暴れだしたらしいサンダルフォンと、それをものともしないで愛を囁き続けるルシフェル。激しい抵抗を見せていたものの、次第に恥ずかしそうな甘い声と床に落ちた胸当てに察したルシオは、世話の焼ける恋人達の手伝いをするのも良いものだと
満足そうに笑って2人だけにしておこうと、静かに立ち去った。


接触禁止令が解かれた2人の距離がいやに近すぎる気がすると、訝しげに見ていた特異点の元にルシオが近寄ってきたので、何かやったでしょと問えば彼は口元に人差し指をあてて「正しく恋のキューピッドというやつですよ」と微笑んだ。

S.C.Pパロのルシサン 後

あれからひと月、サンダルフォンは特に問題なく過ごしていた。
初めの頃、なかなかにショッキングな出来事をこの目で見てしまったが、ルシフェルが心を落ち着かせるまで傍にいてくれたのが幸いだった。
誰かの役に立ちたいと願うサンダルフォンにとってルシフェルの思考は読めないし、彼が持つ死の概念の思想は理解し難いものだ。

『私は人を愛する事も、それを包む術の何もかもを無くしてしまった。...だから君の苦悩を受け止める事は出来ない。だが、君が悲しむのを見ると私は胸が痛む』

それを良しとはせずに苦悩する姿にサンダルフォンルシフェルは異常現象なのではなく、ただ1人の人間なのだと、そう悟る。
なりたくてなったわけじゃないんだと。
どうにか出来る筈もないのに、サンダルフォンは通常の任を行いながら改善策を1人黙々と探していた。

「おっ、こんな所にいたのかサンディくん」
「...その呼び方をやめろと何度言えば分かるんだ?」
「相変わらず皺寄せてばっかでシケたツラしてるよなほんと」

同僚の男は着任してから関わるなと言っても何かと面倒を見てくれる。
いちいち癪に障る言い方なのが気になるが、こんな自分でも見てくれる人がいるのだと思えて悪い気はしない。

「SCP-119...じゃねえか、ルシフェルから頼まれてたブツの許可が降りたからそれを報告しておこうかと思ってな」
「頼まれた物だと?」
「珈琲作る道具一式だとよ。博士に小言言われても押し切った俺の功績を褒めて欲しい」
「...そうか。君にしては良くやったじゃないか」
「うーわ可愛くねー」

皮肉も込めて鼻で笑えば、「愛しのルシフェルにも報告しておけよ」と茶化した声でバシバシ背中を叩かれ、そこそこの強さによろめいてたたらを踏む。
振り返って睨み付けてやれば既に他の職員に絡んでいて、本当にふざけた奴だとサンダルフォンは怒りが消えて呆れ返った。



「それは災難だったね」

ドリンクサーバーの近くで珈琲を飲んでいたルシフェルを見付けて先程の同僚の話をすれば、彼は何故だか微笑ましそうに聞いていた。
子供扱いのような空気に不満が募り、自然にジト目になるとルシフェルは慌てて咳払いをする。

「いや、すまない。膨れっ面の君が愛らしくて」
「貴方から見たら小さいだろうけど、俺は男だ」
「それは知っているよ」
「...そうじゃなくて、可愛いなんて言われて喜ぶ男がいると思うのか?」
「...?君は喜ばないのか?」

さも分かりませんと言った風に、小首を傾げてキョトンとするルシフェルサンダルフォンは眉間の皺が濃くなるのを感じる。
誰が男が男に可愛いと言われて喜ぶ奴がいるんだ。
天上の神のような見目麗しい美形に可愛いと言われたら、10人が10人涙を流して喜ぶだろうが、生憎サンダルフォンはそんな心は持ち合わせていない。

「...私は愛らしいと思うのだが...」

真剣な表情なのにくだらない内容で悩んでいるルシフェルに、SCPは一般的な感性が欠けているのではないかと疑いたくなった。


程なくして備品と共に届けられたサイフォンやミル、ビームヒーター等の道具一式にサンダルフォンは目を輝かせた。
ここに来る前は自宅にも安い簡素な物を置いてはいたが、こんなに良質なのを見たのは初めてだ。
そわそわと落ち着かない様子で箱の中身を覗くサンダルフォンに笑みが零れる。

「良ければ取り出して手にしてみるといい」
「...っ?!い、いいのか...?」

肯定するように頷けば彼は心底嬉しそうに笑って、恐る恐る大切な物を扱うような手つきで取り出していく。
新品独自のくすんでいない、キラキラしたガラスの輝きにサンダルフォンはうっとりとした溜め息を吐いて、慎重に慎重にテーブルの上に置いていった。
次々に並べていきながら、やがて底の方になると小さな箱が2つ入っているのが見え、不思議そうな表情で開けてみると中にはカップとソーサーが入っていた。
しかも明らかに二人分らしく「これ...」と思わず声に出る。
金の縁取りがされ、美しい細やかな花が描かれたカップは赤と青の二色となっている。ソーサーにも同じ様なデザインが施され、付属のスプーンは持ち手の部分が羽の形をしており、言うなれば庭園に咲き誇る花々とそこを舞う鳥といった所か。
洗練されたデザインはひと目で高級品であるのが分かる。
ああそうだ。彼はこうやってペアのカップを買ってきてくれた。
研究所の中庭で渡してきた記憶が浮かんでくる。それで珈琲を。共に。
そこまで考えてツキン、と頭が痛む。彼とは、研究所とは一体何のことか。
もう一度見えるかもしれないと手にしてじっくりと眺めているとルシフェルが隣に並んで覗き込む。

「綺麗だ」
「そうだな、こんな所で使うのが勿体ない気がする」
「...ああ、綺麗だ」

耳元の触れそうなゼロ距離。
ルシフェルにしては熱っぽい囁き声に勢い良くそちらを向くと、蒼天の色をした瞳がゆらゆらと陽炎の様に揺らめいている。
蒼色が濃くなり、そこに水面に波紋が広がるが如く紅蓮が重なる。
瞬きをするほんの一瞬の出来事の為、サンダルフォンは見間違いかと考えたが、元の蒼に戻っており気の所為かとも思うも、何故だか脳裏に堕天という言葉がよぎった。

「ルシフェ...」

サンダルフォンを言葉を遮り、胸元に挿してあるボールペンを抜くと口元にあてた。
困惑する青年に「これを持ってくれないか?」と頼むと彼は一度躊躇するもカップを箱に戻し、律儀に滑り止めの部分を掴む。

「いい子だ、サンダルフォン

ほのかに甘さを含んだ声は普段の無機質とは言い難い。顔を近付けてくるルシフェルはボールペンを挟んだ僅か数センチ。
こんな近くまで接近したのは初めての事で、理解出来ない行動に戦慄く唇。あまりの緊張で心臓が煩い。
そっと目を伏せて軸に唇を口付けたルシフェルに思わず肩が跳ねた。
今、何を。
衝撃的な事にボールペンを握る手を弛めてしまい、落としそうになるのを寸ででルシフェルが掴んだ。

「大丈夫かい?」
「平気...だ、いや、あの」
「今度はきちんと持つんだよ」
「ルシ...っ」

制止する前にボールペンを手渡して一歩近付いてくる目の前の男から逃げるように後ろに下がる。
それに合わせてルシフェルも詰め寄り、そうして何度か繰り返すと遂には壁際に追いやられた。トン、と顔の左右に手をつかれ、逃げ場すら封じられたサンダルフォンは迫る美貌を真正面から受ける羽目になり、顔の前かざした握る手の力が強くなる。淡く輝く蒼に欲の色が混ざって見えた。
再度、唇が軸に押し付けられて潰れるのが視界に映る。形のいい口が、艶のある色から目が離せない。視線を絡ませながらルシフェルは薄く開いた口から赤い舌を覗かせてボールペンをひと舐めする。

「...君も...、少し唇を開いて貰えないか?」

爛々と輝く妖しい蒼。
明らかなSCPの異常事態。
これ以上は駄目だと警鐘が鳴り響いているのに録な抵抗すら出来ない。警備を呼ばなければ、異変を誰かに知らせなければ。
分かってはいるのに、体が言う事を聞かずにルシフェルの言葉に従う。薄らと押し当ててる唇を開けば男は満足気に目を細め、微かに濡れたペンに口付ける。
音を立てて吸われ、舐められるとまるで自分がキスをされているような錯覚に陥る。体の奥が熱い。
ぞくぞくと背中を駆け上がるのは快感か、背徳感か。
決して相手から触れられる事はない。ルシフェルの手は人を殺す毒そのもので、自惚れで無ければ彼がサンダルフォンにその手で危害を加えよう等とこれっぽっちも思っていないのは分かるからだ。
だから余計にもどかしい。
今2人を隔ててるのはたったのボールペン1本。
洩れる吐息、口の端から垂れる唾液が指を、手首を伝っていく。隙間から入り込む唾液で滑りそうになるのを必死で押さえながら、ルシフェルから与えられる間接的な口付けを受容している。

「舌を...出してご覧」

言われて出せばルシフェルは目を細め、音を立てて軸に吸い付く。
とろりと蕩けた瞳は甘く、まるで褒めているかのように錯覚してしまう。彼に習っておずおずと舌で舐めれば、唇からの体温でほのかに金属が温まっていた。

「...っ、ん、」

息継ぎの際にくぐもった声が出てしまい、自分の甘ったるさが耳に入って羞恥に顔に熱が溜まる。
熱い、恥ずかしさで死んでしまいそうだと思っていると、ルシフェルがグッと顔を押し付けて距離が更に近付いた。
唾液まみれのボールペンから聞こえる卑猥な音が、否応なしに今している事のいやらしさを実感してしまう。

「物覚えが早いな。...偉いね」

ぞくり、と背筋が震える。
もし彼の手が異質な物でなければ頭を撫でられていたのだと瞬時に分かった。
このまま触れられたら待っているのは腐敗という死なのに、それを享受しそうな自分自身にサンダルフォンは否定する事すら出来ない。頭の中に霞がかかる。
中庭に、降り立つ、6枚の神々しい白き羽。
ああ、お慕いしております。ルシフェル様。
そう口にしてしまいそうな瞬間、バタバタと職員の足音が聞こえてきて沈みそうな意識が浮上する。
今何が見えていた?何を考えていた?

「...残念だがここまでのようだ」

体を離して口を拭うルシフェルを、ぼうっとした様子で見つめる。
あれだけ熱っぽく求めてきたというのに随分とさっぱりしているルシフェルに心がもやもやしてくる。
今までしていた行為がまるで無かったかの様な態度に困惑ているのに気付いたのか、ルシフェルサンダルフォンの耳元に唇を寄せると「君が良ければまた、」と囁いて去って行った。
1人取り残されたサンダルフォンは、唾液でベタベタになったボールペンを見つめながら悪態を吐くと、ティッシュを乱暴に複数枚引き抜く。

「なんで、クソっ...、ああもう」

先程までの行為を忘れようと、頭を振りながら体を渦巻く熱を冷まそうと必死にボールペンを拭いていた。




1つ、ルシフェルについて分かった事がある。
あの男は膨大な知能を持つ友好的なSCPとして財団職員に助言こそするが、積極的に接しようとするのはサンダルフォンただ1人だった。
あれが足りないと言えば上に掛け合い、すぐに用意をさせ、分からない事があれば近過ぎる距離で細部の細部まで詳しく説明をする。
他の職員から飲食を勧められてもサンダルフォンから差し出された物以外は口にしない。許可された上質な珈琲など2人以外が触るなど以ての外だ。
明らかな依怙贔屓はそれを良しとしない職員の鬱憤の原因ともなり、次第にサンダルフォンへのあたりが強くなる原因にもなる。

「...はあ」

山積みになった多くの案件の書類をぼんやりと眺めながら大きな溜め息を吐いた。
雑用はクラスの低い者がやるべきだと次々にデスクの上に置かれ、せめてもの情けなのか辛うじて作られたマグカップ1個分のスペースが虚しくなる。
眼精疲労による頭痛に耐えながら明日までの期限の報告書を黙々と片付けていく。

「...また凄い量だなこりゃ」

帰った隣の職員の椅子に座るのは、お節介焼きの男だ。
有り得ない量の書類の束に顰めっ面をすると、そこから片手分を取り上げてデスクに置いていく。

「俺に構うと君まで巻き添えになるぞ」
「されたら博士にチクって左遷でもしてやるか。そしたら俺もお前さんもハッピーってな」
「...はぁ、お人好しだな」
「サンディくんがSCP-119と仲がいいから新しい報告書書けて博士も大喜び、俺も昇進出来て大喜び、お前さんは愛しのルシフェルと仲良く出来て大喜び。みんなハッピーなのはいい事だろ兄弟」
「愛しのだなんて俺はそんな事考えてない。...全くよく回る口だな、本当に。感心するよ」
「おっと遂にデレ期に突入か?生憎俺には最高に可愛い彼女がいるからお前さんには付き合えないんだ」

スマホの待ち受けになってる彼女を見せ付けてくる男を半目で睨めば、その顔今までで一番ブサイクだなと盛大に笑ってきたのでサンダルフォンは無言で男の脇腹を肘で黙らせた。
鳩尾に入ったのか、声も出ずに悶える男を鼻で笑って作業を再開する。噎せた咳をしつつ、脇腹を擦りながら男は容赦が無いと笑ってどこからか紙を1枚出てきた。

「また報告書か?」
「いんや?SCP-119に関する機密情報というやつだ。クラスAしか見られないとっておきのな」

意地の悪い笑みに片眉を上げる。
違法アクセスして情報を抜いてきたであろう男に言いたい事はあるが、ルシフェルに関する情報があった事に驚く。上の職員しか見られないという事は、欠片ですらも公に出来ないとびっきりの内容。
閲覧してみたい好奇心と、財団への罪悪感。天秤に掛けられた揺れ動く心に、男から「サンディくんのお探しのネタがあるかもよ」と悪魔の囁きが送られた。



夜も更けた自室にて、サンダルフォンは小さく折り畳まれた紙を開く。検閲だらけのファイルと違ってこちらは全てが書かれており、ハッと息を呑むと思わず誰か来ないかドアを開けて廊下を確認した。
鍵を閉めて、窓を閉じ、ベッドに腰掛けて恐る恐る中身を確認し始める。



××××年、×月×日。
州警察より連絡あり。
電話内容は以下。

「もしもし?」
「もしもし、どうかしたか」
「ああ。よかった。早くしないと、男が。全部腐らしちまうんだ」
「落ち着いて。状況を」
「街中で変な格好をした男が立ってるんだ」
「男?」
「ああそうだ、白髪?銀髪?わかんねえ、とにかくそんな男が立ってるんだ。それで、それで...畜生腐っていく、全部駄目になっちまう」
「落ち着いて。詳しい状況を」
ー電話はここで切れている

発信元よりエリアを縮小、捜索を開始。
××時××分、現場に到着すると道路の中央に立つ男を確認。
男の周囲には何人もの人間が倒れており、10m周囲に植えられている街路樹は全て枯れていた。
銀髪に、頭には山羊の角が生えている。片方は途中で折れているが、今折れた訳ではなかった。
背中には3対の羽?鳥の羽だ。真ん中の羽はカラスと同じ黒。
質の悪いハロウィンの仮装ではなかった。
接触を試みると、意外にも男は普通に応じた。
名前を聞くとルシフェルと名乗る。聖書に書かれた堕天使の名前に、やはり頭のイかれたハロウィンなのかと思う。
エージェントの1人が確保に向かう。対象者を掴むと、男は関わらないでほしいと頼んできた。
SCPの可能性がある以上それは出来ない趣旨を伝えると、男はエージェントAを掴んだ。
するとエージェントAは急激に水分が抜け、皮と骨になり、そのまま地面に倒れ込む。
エージェントB、声をかけるも反応無し。死亡を確認。
男は殺す意思は無かったと伝える。財団の発砲許可の指示を仰ぐ。
無意味な抵抗をやめたのか、男は沈黙すると敵意は無いことを証明しようとして自らの羽を引きちぎった。
夥しい血液は致死量だが、男は生きている。
再度、敵意はないとこちらに伝える。
道路に落ちた羽は数分後に自然消滅をしていた。
サイト24に収容。

結果として、こちらから男に触る事は出来るが、男がこちらに触れると腐敗、腐食が始まる。
【注】植物や果物、野菜は勿論、人間も含まれている。金属は腐らないようだ。
よって健康状態の確認は口頭でのやり取りを推奨しておきたい。

報告を以上とする。



到底理解出来ない内容に頭がついていかない。
紙を脇に置いてベッドに寝転んだ。頭に角が生えていた、背中には羽が。機密情報を見たサンダルフォンは改めてルシフェルが人ではない者であるのを認識する。
財団の中でも上の人間でないと見れないこれが嘘だとは言い難い。
だが全てを鵜呑みに出来るとも言い難い。
ただ。ただそれよりも。
いつでも人を殺す事が出来る恐怖よりも、ルシフェルに触れられるという事実が気になった。
あの人の域を外れた男と接触出来る。それが何よりも嬉しかった。
そして自覚をすると途端に欲が溢れる。
弾かれたように飛び起きると、いても経ってもいられずに部屋を出ると駆け出した。
会いたい、会いたい。
名状し難い感情に突き動かされて走るサンダルフォンは、ルシフェルを探していた。彼がいそうな場所を一つ一つ見て回り、数分後。辿り着いたのはキッチン。
明かりの落ちた施設内で、そこだけはひっそりと明るかった。
ふわりと鼻を擽る香ばしい匂いに引き寄せられて、忍び足で近付いて中を確認すると壁にもたれ掛かって珈琲を飲むルシフェルがいた。

「...、サンダルフォン?」

人影に気付いたルシフェルは口からカップを離す。
深夜に近い時間に起きているのが不思議なのか、訝しげな声で呼ぶルシフェルの元にサンダルフォンは大股で近付いた。
見上げなければ顔すら見れない身長差。
急に接近した事に僅かに目を丸くしているルシフェルに向かって手を伸ばす。
もし、あの報告書に偽りがあれば間違いなく訪れるのは死。だからこれは賭けでしかない。
指先が頬に、触れる。
シミも荒れもない肌。
産毛のせいか、さらさらとした肌だ。

サンダルフォン...ッ、」

こちらからの接触に戸惑いが隠せず、蒼い瞳は酷く怯えた様に揺れている。何故、どうしてと言っている気がしたが、サンダルフォンは気にも止めずにルシフェルの頬を両手で包む。
ほのかな熱。温かい、生きている証拠に視界が揺らぐ。
はらはらと眦から流れる雫を拭う事もせず、ルシフェルの生きている存在を手で感じ、彼の熱に心が震える。締め付けられる胸の痛みは、きっと喜びから来るものであろう。
手の届かない存在だと思っていた。だけど、手を伸ばせばこんなに近くにいたのだと。
指通りの良い銀糸の髪をくしゃりと撫で、指の腹で唇をなぞる。
どこもかしこも全てが生を感じられるのが嬉しかった。
どこか別の世界の人物だと思っていたのに、人間らしい体温は同じ世界にいる気がした。

「...あたた、かい...」
「...、...」
「あんたは、生きてるんだ...」

泣きながら微笑むサンダルフォンルシフェルは言葉を失う。
どうして抱き締めてやれないのだろう。
どうして慰める事も出来ないのだろう。
涙を拭えないこの手が今は憎く思えた。