ごみばこ

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1DKから始めましょう

午後8時、バイトを終えたサンダルフォンはクタクタの体を引きずりながら家の近くのコンビニへと寄った。
帰って自炊するには微妙な時間で、明日の朝には別のバイトの出勤がある。だから手早く弁当を買って済まそうと言うのだ。
自炊の方が安く済むし、栄養価もあるのは重々承知しているが、なにぶん今は一秒でも早く休息が欲しい。天司の頃は食事や睡眠で困る事は無かったのに、と考える。
遠い過去の記憶を持ったサンダルフォンは、どういうわけかファンタジーな世界とは真逆な場所へと転生していた。
気付いたのは5歳。
母親との買い物の帰り道に転んだ時の衝撃がきっかけで、自分が天司であった記憶を取り戻した。

研究所で敬愛する人に造られた事、叛逆しパンデモニウムに幽閉された事、そして二度目の罪。
愛した人の死と、託された願い。
がむしゃらに走り抜け、ルシファーの遺産を全て破壊したサンダルフォンは、自身のコアがひび割れる音を聞いた。
力無く垂れる羽は飛行能力を失い、特異点や蒼の少女の悲鳴が聞こえる中、空の底へと落下して行く。

ルシフェル様。

流れた涙は空へと散り、朝焼けの光を透かしており、千切れていく純白の羽はルシフェルとの繋がりが薄れていくのを知らしめているようだった。

-俺は役目を果たせましたか。

よくやった、サンダルフォン
君は頑張った。

耳に馴染んだ優しい声に瞼を閉じる。都合の良い幻聴だとしても、サンダルフォンにその短い一言は大きな救いだった。
良かった。口角が弛む。
軽くなっていく背中の感覚にこれで全てが終わるのだと理解する。
もう一度だけ、会いたかった。

「...、シ...、フェル...ま...」

空の底に激突する直前で呟いた言葉を最後にサンダルフォンの意識はブツリ、と消えた。

それが天司であったサンダルフォンの記憶だ。
思い出した際は苦悩したものの、幼いながらに自分がいるならきっとルシフェルもいるだろうと期待していた。
だが、21歳になる今日迄見付かる気配なども感じられず、高校を卒業するあたりで半ば諦めていた。
あの世界程ではないにしろ、今の世界も充分広い。居たとしてもそう簡単に見付かる事など無い。
諦めるのは最早得意分野とも言えると自嘲し、それならばと今の人生を全うするしか無かった。
だからサンダルフォンは今日も今日とて自分の命を食いつなぐ為に仕事をして、金を稼ぐしかない。
自動ドアをくぐるとお決まりの店員のいらっしゃいませーと言う声が聞こえる。
昨日は助六だった。
たまには体力の付く肉類でも食べないとな、とカゴを持って水や明日の朝に食べるパン、夕食の弁当を入れていく。
麺類が並んだコーナーの、横の棚にあるデザートの列の中で気になる物が目に入る。
『新商品!有名店の珈琲を使ったゼリー』と女性店員が描いたであろう、可愛らしいポップに何となく惹かれたサンダルフォンはそのデザートをお試しで買おうかと手を伸ばす。
...が。

「「あ」」

同時に伸ばされた手に、思わず被る声。
一つしかない珈琲ゼリーだが、ここで奪い合う必要も無いだろうと相手を見ずに「どうぞ」と言うと急に腕を掴まれた。
存外強い力に一体なんだと顔を上げれば。

「...ルシフェル様?」

愛してやまない、かつて敬愛した人が同じようにカゴを持って立っていた。

サンダルフォン、か?」

昔と変わらない、優しい温かな春の陽気に吹く風のような声。
耳に残る穏やかさは心が凪いでく。思い出すのは研究所にあった様々な花々が咲き誇るあの庭園。
2人きりで過ごした小さくも、ささやかな幸せ。
愛しい人に漸く出会えた喜びに感極まって涙が溢れそうになる。
が、とは言え、コンビニのデザートコーナーに成人男性が2人、見つめ合って固まっている光景は何とも珍妙なので「お会計...しましょうか」と促すと、ルシフェルは目を細めて頷いた。

「私の家に来るかい?」

コンビニを出たルシフェルに問われ、控えめに行く事を答えれば彼は酷く嬉しそうに微笑んだ。
隣を歩くのは実に二千年以上前で、あの時もこうやって中庭に行くまでの間を歩いていたな、と思い出す。
だが今世はヒールを履いていないので、少し高めの位置あるルシフェルの横顔をちらりと見やる。
歩く度に揺れる銀糸の髪も、前を見る蒼い瞳も何ら変わりなく、それがまたサンダルフォンの胸を締め付けた。

サンダルフォン
「...っ、は、はい」

不意に呼ばれ、吃りながら返事をするとクスリと微笑まれる。
こちらを見る瞳の優しさに心臓が痛いくらいに音を立てていて、今にも口から飛び出しそうだ。

「先程買った菓子だが」
「はい」
「家に着いたら分けて食べよう」
「え、でも...ルシフェル様が買ったものですよ?」

金を出して購入したのはルシフェルだ。タダで貰う訳にはいかない。それを伝えると、彼は手を伸ばしてサンダルフォンの頬に触れた。

「折角君とこうしてまた会えたのだから、このきっかけを作ってくれた菓子を分け合いたいんだ」

嬉しそうに笑う顔にキュンと胸が高鳴る。
何故そんなに笑顔なのですか。
何故手を繋ぐのですか。
聞きたくても聞けない恥ずかしさが自分でももどかしいのに、それがどこか心地良い。

「...話す事も沢山あるし...、今日は寝れませんね」
「ああ。...明日は寝不足になりそうだ」

今日は眠るつもりなんかなかった。
朝方寝てしまったらバイトに遅刻するかもしれない。
無断で休んだら場合によってはクビになるかもしれない。
サンダルフォンはそれでも良かった。
困ったな、と言いながら全然困った様子の無いルシフェルに本当ですねと同じく困ったフリをして笑い返す。
握った手の温かさを振りほどくなんて出来なかったから。